スーパードルフィー“しおん”

スーパードルフィーを中心に、つれづれなるままに日々を

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芸術品から人間へ

とてもウェットな話になるのでたたみます。
ウェットです。苦手な方はご注意ください。

 しおんをお迎えしてから8ヶ月になりました。
 お迎えする前と後で、スーパードルフィーに対する見方が大きく変わりました。
 今日はそんなことをお話したいと思います。

 お迎えする前は、スーパードルフィーを“芸術品”として見ていたように思います。
 美術館に展示されている彫刻のような。
 なので、ドルパなどイベントでスーパードルフィーが飾られていると、美術館で彫刻を鑑賞するかのようにじっくりと見ていました。いろいろな角度から見たり。休憩スペースで展示されているドルフィーも、見せたいから置いているんだろうということで、やはり美術館で彫刻を見るかのようにじっくりと見ていました。今思えば勝手な考え方だったなあと思います。
 芸術品ということで、スーパードルフィーはあくまで“物”であり、物を超える存在ではなかったのです。

 お迎えしてから、スーパードルフィーに対する見え方は変わってきました。
 スーパードルフィーが“人間”に見えてきたのです。あたかも一つの人格を持つ生きる存在としてのドール、そんなふうに見えてきたのです。
 もちろん完全な人間というわけではなくて、ドールはドールですが、なんというか、息遣いがあるというか、生きている存在として、見えてきたわけです。
 ドルパに行ってドルフィーを見る時も、見方が変わってきて、今までのように美術館の彫刻のようにじっくりと見ることはなくなりました。人を見るときに、いろいろな角度からじっくりみたりするのは相手にも失礼なわけですが、そうは言っても気になる時は気になるので、気になった点は近くでじっくりと見たりはしますが、“人”として見るかのような視点に変わってきたように思います。

 生きる存在にさせるのは、やはりオーナーの愛であり思い入れであると思います。
 ドルフィーを鑑賞するときに、そういったオーナーさんのドルフィーへの思い入れや愛に気がつき、敬意を払えるようになったと思います。そういった敬意が、人として見させているのかもしれません。
 今まではドルフィーの単位は「体」でしたが、最近はあえて「人」で数えていたりしています。
 あえて一人二人と数えてみるのは私のこだわりでしかありませんが、そうさせるパワーがドルフィーにはあるように思います。オーナーさんの愛が、ドルフィーを生きる存在にさせ、ドルフィーが瞳に輝きをもち、息遣いをもって、自分に迫ってくるように感じられます。

 こういう発想はいわゆるウェット派というものだと思うので、ドライ派でも全然かまわないと思います。趣味でありお好みで。
 ちなみに北斗七星さんからは“しおんさんは妻なんだろ?”とからかわれておりますw
 2人目がお迎えできなくなるじゃないかということで、このような見解はやっちは否定しております。
 というか、本当に生きている1分の1の人間の方をお迎えしたいです……

 自分でも不思議に思うのは、スーパードルフィーには表情があるということです。
 他のオーナーさんがほほえんでいるように見えるよねと写真をブログに展示されていて、自分でも本当にほほえんでいるように見えたり、そういうことがあるので、不思議だなぁといつも思います。光の当たり具合とかでグラスアイの表情が変わるのだと思いますが、スーパードルフィーは本当に奥が深いです。
 

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